「いざ」の時は、今だ。
2013-09-29


 後期(85歳〜)になったら、「おつり」と考え、ジタバタするな、なるよう にしかならない。 医療の限界を知れ、健診をするな、医者の言うことを聞く な、治療しなけりゃ長生きする。 85歳過ぎたら、『がん放置療法のすすめ』 『医者に殺されない47の心得』の近藤誠さんの言う事も7割は正しい。

 PPK(ピンピンコロリ)なんてのは、宝くじに当たるようなものだ。 介護、 医療が必要になったら、プロの技、道具としくみに頼るべきだ。 家族介護に は、家族であるがゆえの難しさがある。 公的サービスの実態は、非効率で、 配給品一つにしても規格品で使いにくい。 いろいろな高齢者施設があるが、 内容はピンからキリまであり、一長一短がある。 終身介護の嘘、「介護付」が 怪しく、手がかかると無理だから移れと言われたりする。 なかなか入院先の 見つからない救急搬送の悲劇や、入院出来ても管(クダ)だらけ、若い人と同 じ濃厚治療で水ぶくれ、「溺死」状態の死が増えている(4月30日の当日記「体 内の水分や栄養を消費して、穏やかな旅立ち」参照)。

 老後の沙汰も何とやら、「終り良ければすべて良し」、介護はプロにまかせ、 家族は愛とお金を…。 それが家族への最良のプレゼントだ。 寝たきりの時 間を短くする、たとえば90歳で脳梗塞をやると、身体の各部分が一斉にダメ になり、PPKに近くなる。

 豊かな老後は、自分でつくらなければならない。 生物の歴史から見ても、 晩年の親を看る動物はいない。 それは本能として組み込まれていない。 餌 を取れなくなったら、餓死。 周囲への期待こそは、不幸の源だ。 沢山の実 例を見てきているが、財産を子供に渡した途端に、その人の価値はなくなる。  見舞にも来なくなる。 「老いては、子に従え」ではなく、「老いては、子を疑 え」。 今日の5千円、1万円が大事。 「小分け」にして、毎日、ポチ袋に入 れて渡すようにすると、孫や曾孫まで、列をなして介護を奪い合う。 誕生日 など、花束の山、人だかりになる。

 私の「等々力短信」を読んだり、テレビ東京『カンブリア宮殿』を見た人達 から、いい所だけど、費用の負担がたいへんで、年金生活ではとても無理とい う感想が多かった。 それを直接、大塚さんにぶつけると、自分の稼いだお金 を、どうやって使うかだという。 老後は不便の塊であって、死んだ後は使え ない。 いざは、今だ、と。 (後で、入院期間がどのくらいになるか分らな いのが難点なので、費用の総額、打ち切り方式を検討中という話も聞いた。)

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