『柳原白蓮展』図録に「柳原白蓮とその時代」を書いた尾形明子東京女学館 大学教授は、白蓮が81歳で亡くなるまで45年間暮した目白の家で、長女の蕗 苳(ふき)さん、その長男黄石氏から、白蓮と龍介との間で取り交わされた700 通にものぼる書簡を見せてもらう。 そこからは歴史の中の出来事だったいわ ゆる「白蓮事件」が、あらたな貌をもってくっきりと浮かび上がってくるのを 感じたという。 1920(大正9)年、戯曲『指鬘外道』の出版の話で、東京帝 大生宮崎龍介が別府別邸を訪ねたことから、文通が始まり、世紀の大恋愛とな る。
「ふたりは運命のように出会い、心惹かれ、愛し合うようになり、美し くも激しい恋文が積み上げられ、ついに自由にむけての出奔を決意する。」「と もに暮らすまでの二年間は、二人の予想をはるかに越えた苦難の日々だった。」 姦通罪のあった時代である。 Y子自身は、結婚し平民になってはいたが、生 家は華族令に触れる懼れもあった。
「にもかかわらずなされた白蓮の行動は、世間を驚愕させた。それはまさに 幾重もの因襲を断ち切る新しい女性の自立宣言だった。」
「世間からの非難の嵐は「俗悪を極め」「文明的私刑の残酷」(芥川龍之介「柳 原白蓮女史」『婦人公論』大正14年2月)さながらであり、その間、白蓮を支 えたのは胎内で息づく命と、滔天、ツチを始めとする宮崎家の人々、そして九 條武子や村岡花子ら数少ない友人だけだった。」
柳原白蓮の歌を引く。
和田津海の沖に火もゆる火の国に我あり誰そや思はれ人は
踏絵もてためさるる日の来しごとも歌反故いだき立てる火の前
止まりたる時計の針も一度びは誠を示す時にあひなば
こゝこそは破滅の門(かど)と思ひつゝそとのぞき見て吾とたぢろぐ
思ひきや月も流転のかげぞかしわがこしかたに何をなげかむ
世の中のすべてのものに別れ来しわれに今更もの怖ぢもなし
岐れたるふたつの道を一つ得てあやまちぞとは誰がいひそめし
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