昼食でホッと、湯島から駿河台へ
2016-10-13


  秋驟雨ゴチックアーチで雨宿り

 浅野南門を出て、前面の住宅地を通って暗闇坂へ出、弥生美術館・竹久夢二 美術館の前を通って、弥生門から東大本郷キャンパスに入った。 この頃から 雨が本降りになってきた。 安田講堂の下に出たあたりでは、屋上から過激派 が放水しているのではないかと思うほどの、猛烈などしゃ降りとなった。 し ばしゴチック建築のアーチの中で雨宿りし、パサージュというのか建物に沿っ た庇のある回廊を傘を畳んで歩く。 予定していた三四郎池などは省略して、 正門を入った所の道を赤門、懐徳門と進む。 ここには洒落た勉強スペースや 売店、レストランなどが並んでいる。 懐徳門を出て、少し戻ったところに、 今回の昼食どころ、神楽坂 翔山亭の本郷店がある。 びしょ濡れで到着、立派 やかな店に、靴を脱いで上がり、ほっとする。 「凡事徹底」「和食と焼肉の融 合は、新たな食文化を創造する。」がモットー、白木の箱が並んでいたので弁当 かと思ったら前菜で、本番は炭火を持ってきて、排煙装置を下ろしての、焼肉 になった。 だだちゃ豆の味かと思ったお茶は、こぼう茶だった。 幹事の岡 田さんが良い店を見つけてくれていたので、ゆったりとした楽しい昼食となっ た。

 本郷三丁目の交差点を春日通りに左折、本富士警察署の前を通り、麟祥院の 前へ、ここは徳川家光の乳母で大奥の制度を確立するなど権力をふるった春日 局が建立した天沢寺、春日通りや文京区春日の地名も春日局の屋敷地に由来す るという。 湯島切通し坂を下り、鳥栄の前を通って、旧岩崎邸庭園へ。 こ こは福澤諭吉協会の見学会や吟行で来たことがあった。 三菱財閥岩崎家本邸 として明治29(1896)年に、英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計で建 てられた。 この土地は越後高田藩榊原氏の屋敷跡。 ボランティアガイドの 説明を後ろで、聞いていたら、柱のニスが光っているけれど建築当初塗ったま まなので触らないようにと話していた。 前回案内の35期・大澤塗装大澤宏 樹さんに、触ってほしいねと言って笑う。 外に出ると、柱のペンキはかなり 〓げていたが、ここは大澤塗装の顧客ではないとのことだった(後で、二か所 施工したという場所が出てきた)。

切通し坂を戻って、湯島天満宮へ、梅酒まつりというのをやっていた。 尾 根道をまっすぐに三組坂上、清水坂下とたどって、神田神社(旧称神田明神) へ、明神男坂の階段を下りて、鰻の神田川の前を通って、大きく回り込み、湯 島の聖堂へ。 変なおばあさんがいて、大澤宏樹さんに、事務所の場所を訪ねた。 ここの 塗装を請け負ったと後で聞いた大澤さんが、斯文会事務所を教えると、お礼も 言わず、肩をつかんで、「ここ(大成殿)の事務所だよ、馬鹿ッ! 私は世界的 に有名な、○○の母だ。あとで、泣くよ」と、ののしった。 みんな、びっく り。 歩こう会の珍事、「馬鹿ッ!」「あとで、泣くよ」には笑った。

お茶の水、長寿命化工事中の聖橋を渡って、ニコライ堂へ。 明治24(1891) 年竣工のギリシャ正教教会、東京復活大聖堂。 ここも大澤塗装の仕事先だっ た。 路上開催の日大歯学部の学園祭「桜歯祭」の中を通って、明治大学アカ デミーコモン地階の明治大学博物館へ。 「等々力短信」第1086号に書いた 阿久悠記念館を見た後、商品、刑事、考古の三部門の展示を見る。 刑事部門 には、ギロチンや「鉄の処女」もあった。 今回のガイド役、岡田幸次郎さん は、ここの考古部門で研究をしていて、解説文の英訳を担当している。 岡田 さんは、地方公共団体などが建てる史跡の案内板の翻訳などもなさっていると 聞いていた。 へらへらになったけれど、お蔭様で、今年も充実した「慶應志 木会・歩こう会」を楽しむことが出来た。

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