「もう一つの中勘助」の秘密
2017-02-13


 『三田評論』2月号「社中交歓」はテーマが「銀」、菊野美恵子さんが「読み 継がれる『銀の匙』」をお書きになっている。 その中に「一昨年、岩波書店発 行の『図書』に「もう一つの中勘助」と題して半年間連載させていただいた。 多くの反響をいただき、「中勘助ファンはフランス・レジスタンスの秘密ネット ワークみたいにあちこちにひそんでいる」とのある人の言葉を実感した」とあ る。 私も、その連載を読んで、「等々力短信」と<小人閑居日記>に下記を書 いた。

「もう一つの中勘助」<等々力短信 第1075号 2015.9.25.>

[URL]

「今尾藩」と青松葉事件<小人閑居日記 2015.10.14.>

[URL]

 菊野美恵子さんの「もう一つの中勘助」最終回「いま一度の悲劇、そして」 (『図書』2015年12月号)では、重大な秘密が明かされている。 それを紹 介する前に、背景の事情を知ってもらうために、まず私が昔「等々力短信」に 書いた「『銀の匙』以後」(第363号・1985(昭和60)年7月25日)の後半を 引いておく。

 「中勘助の父は岐阜の今尾藩の藩士で、勘助は明治18年にその藩邸内で生 れている。 東大卒業の頃、父が亡くなり、一高、東大を出、ドイツ留学の後、 九州大学医学部教授という得意の絶頂にあった兄が脳溢血で倒れる。 その兄 にはうら若い妻がおり、勘助は以後40年間、不治の兄と老いていく母の世話 をする嫂を見つめつつ、この嫂と二人で、家の重荷を背負っていくことになる。  作家の富岡多恵子さんはかつて、この間の事情にふれ(日経夕刊、53・2・20 −22)「『家』を支えるに、勘助と嫂は、同志となり、戦友とならざるを得ない。 ということは、勘助と嫂の、心のかよい合い、助け合いに対して、当然、病の 兄の嫉妬やひがみがあり、まわりの俗っぽい中傷や、誤解もある。」「嫂には、 時折、畳に頭をすりつけて礼拝したいと書いている。礼節、忍耐、冷静、もろ くこわれそうなものへのやさしい感応、求道、のごときものを感じさせる。… …中勘助は、男の態度とココロザシを示したひとに思える」と書いた。 勘助 は58歳まで独身を通し、嫂が死んで、体のきかぬ70歳の兄が残った時、兄の 世話もしてくれるという条件をつけて、結婚を決意する。 その結婚式当日の 朝、長く勘助を苦しめ続けた、兄が死ぬ。」         (つづく)

[慶應]
[等々力短信]
[文芸]
[歴史]

コメント(全1件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット