Grand Tour(大修業旅行)
2020-04-21


 伊丹レイ子先生の「まえがき」のつづき。 ジェイムズ ボズウェル(1740 −95)は、どんな人物だったのか。 スコットランドのエディンバラに、 Ayrshireの由緒ある領地を所有し、Lord Auchinleckと呼ばれ、裁判官の重職 を占める、父アレキサンダー ボズウェルの長男として誕生する。 エディンバ ラ大学とグラスゴー大学で法律を学び、オランダのライデン大学やユトレヒト 大学に留学した。 当時の英国の資産階級の男子は、オックスフォード大学や ケンブリッジ大学、スコットランドのエディンバラ大学やグラスゴー大学をほ ぼ16歳で卒業後、ヨーロッパに研修旅行をして留学するという習慣があり、 それはGrand Tour(大修業旅行)と呼ばれていた。 ジェイムズ ボズウェル も、その習慣にしたがった。

英国のしかるべき人の伝記を網羅したDNB(the Dictionary of National Biography)全21巻に記載されているほどの人物の略歴には、若い10代20 代の頃、Grand Tourに旅立ち、どこの町、どこの宮廷に立ち寄ったかという 記載が出てくる。 Grand Tourはエリザベス一世の頃から盛んになり、学業 の仕上げとして、ヨーロッパで研修し終わって帰国後、初めて英国の要職につ くという路線が開かれていた。 ヨーロッパでの目的地はイタリヤ、特にロー マで、英国人は途中、主にオランダ、ドイツ、スイスという非カソリック国の 通過がその道順だった。 イタリヤへ道のりは、アルプスの山越えも含めて、 外国の諸事情を、若い時に自分の目で見て、独、伊、仏などの外国語を学び、 訪れた大学や宮廷で上流の紳士の礼儀作法を習い、ヨーロッパの文化遺産を訪 ね、ギリシャ・ラテンの歴史文化を探り、古典文学に親しむことを男子の教育 の大切な柱の一つとして遊学を奨励した。 18世紀中頃が、その制度の最盛期 で、英国やスコットランドの貴族は、息子が10代前半の場合は、引率者とし て家庭教師(tutor)を雇って、ジェイムズ ボズウェルのように成人に達した ら一人で、旅行させた。 また大人の貴族は建築士や庭園職人を連れて、フラ ンス、ドイツ、イタリヤの家具調度の品々を見立てさせ英国に持ち帰り、また 道路や橋の建設の技術を学ばせ、大理石を輸入して住居や造園に活用して、一 般英国人の生活の向上の為にもこの制度を活用した。

Grand Tour若者の外国研修と留学については、「旅は開かれた書物である」 という考えが広く受け入れられていた。 19世紀の世代にも受け継がれ、旅の 範囲はイタリヤを越えてギリシャに及び(バイロンやシェリーなど)、またさら に米国からハワイ、南太平洋の島々まで歩を伸ばしたスコットランド人R.L. スティーブンソンなどは正統なGrand Tourの後継者といえる、と伊丹レイ子 先生は書いている。

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