三笑亭夢丸の「次の御用日」後半
2020-08-23


 四谷、鮫ケ橋、寂しい所。 橋の下を覗くと鮫がいるというのと、川が細いけれど雨が降ると橋を使わないと渡れなくなるので、雨ケ橋と書いてサメガ橋という説がある。 影向寺(ようこうじ)様のご門前が、とくに寂しくて、人っ子一人いない。 それも真夏の昼下がり。 夜中より、気味が悪い。 嫌だなあ、怖いなあ。 川の向こうから、物寂しい売り声が聞こえて、眠くなるよう。 「葦(あし)屋ーーッ、すだれーーッ、茣蓙屋ーーッ、すだれーーッ」 ゆっくりと、「きんぎょーエーー、きんぎょーーッ、メダカーエーー、きんぎょーーッ」 にぎやかなのが、(短く)「イワシコイ、イワシコイ!」 これを反対にやると、いけない。 「イワシーエーー、イワシーーイ、イワシーエーー、イワシーーイ」 イワシ、新しいか? 息を引き取りました。 いつ? おととし。

 コツン、コツン、コツン! 遠くから、肌脱ぎになった男、堅気屋佐兵衛の長屋に住む臥煙、火消しのガラの悪い奴、藤吉、印半纏を頭の上にかざして、やって来る。 怖い、怖い、怖い、あれ怖い! 貞吉は、お嬢さんを裏長屋と天水桶の間に隠して、上から覆いかぶさる。 藤吉は、怖がらせてやろうと、印半纏を頭の上いっぱいに掲げて、腰つきもキレキレに近づき、お嬢さんの頭の上で「エッ!」と叫んだ。 アーレー! お嬢さん、バタンと倒れた。 旦那、大変ですと、貞吉がお店に取って返し、旦那や店の者が駆けつけて、お嬢さんをお店に担ぎ込む。

 お医者さんに診せて、一命は取り止めたが、何から何までみんな忘れて、健忘症、記憶喪失、あっちを向いたら、あっちを向いたまま、ボーーッとしている。 怒り心頭に発した堅気屋佐兵衛、お畏れながらと、南町奉行に訴え出る。 南町奉行所、只今の有楽町駅の中央改札の前、駅近物件、多分駅より先にあった。 いきなりお白洲でなく、溜り、腰掛け場で待つ。 小窓で一人ずつ、呼び込む。 四谷伝馬町一丁目堅気屋佐兵衛、入りましょう! 下人貞吉、借家人藤吉、町役五人組、入りましょう! お白洲は上(かみ)の情け、ごまめむしろが一枚敷いてある。 「シー」という声、紗綾形(さやがた)の襖が左右に開き、御奉行様着座。 きりっとしたいい男、温水さんみたいにふわっとした人は出てこない。 願書を目で読まず、口で読まず、眉と目の間で読む。 こういう顔(とやって見せ)、文楽の人形みたいに、眉ばかり動かす。 前月十三日の事の次第、堅気屋佐兵衛、有り体に申し述べよ。 この貞吉からお聞き取りを。 下人の貞吉、表を上げよ。 (隣の旦那が)顔を上げるんだ。 こんな顔です。 堅気屋佐兵衛の娘、糸の頭(こうべ)の上で、藤吉が「エッ!」と申したのだな。 おじさん、初めから話します。 (隣の旦那が制すと)名前を知らない。 指差すな、御奉行様と言え。 小児のことだ、許す。 おまんまを食べていたら、旦那が早くしろって。 無茶言うんです、ひっ捕らえて下さい。 おかず、ネギとお芋なんです、旦那がけちでおやつが出ない。 (旦那が止めようとするのを)捨て置け。 お芋を取っとくと怒る、ひどい男なんです、打ち首に。 (旦那が)余計なことを言うな。 捨て置けですね。 私は藤吉のおじさんの所へ店賃を取りに行くんです、フンドシ一丁で体中絵が描いてあって、怖い、ろくに雨樋も直さないで、店賃など払えるかと、禿チャビンに言え、と。 禿チャビン、この旦那のことで。 お嬢さんが可哀そうですから、早く治して下さい。


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