『おきざりにした悲しみは』<等々力短信 第1185号 2024(令和6).11.25.>
岩波書店の『図書』11月号に、作家の原田宗典さんが電気アンカで足に低温火傷をした93歳のお母さんを、車椅子に乗せて病院に連れて行く話を書いている。 ある日は好天の車椅子日和、ある詩句が、ふと頭に浮かんだ。 <母よ 私の乳母車を押せ> 誰の詩だったか、病院でスマホを検索したら、三好達治の「乳母車」だった。 時はたそがれ/母よ 私の乳母車を押せ/泣きぬれる夕陽にむかつて/〓々(りんりん)と私の乳母車を押せ 原田さんは帰り道、「私よ 母の車椅子を押せ」と何度も繰り返し呟いた。 そのお母さんは、原田さんが6年ぶりに書いた長編小説『おきざりにした悲しみは』(岩波書店)を、三日かけて読み、号泣し、「あんた、やったねえ! 本を読んで、こんなに感動したのは初めてだよ。いいもの書いたねえ」と褒めてくれたという。
私は、この一文にやられて、すぐに入手し、たちまち読了した。 主人公の長坂誠は65歳、物流倉庫のフォークリフト作業員だが、大谷翔平を見ることで習慣になった5時起きからの出勤前の二時間弱が、自分が自分でいられる貴重な時間となっている。 ギターを爪弾きながら歌う、時には自分で書いた詩も…。 本を読み、小説を書き、渋谷のデザイン専門学校に行ったので、絵も描く。 「おきざりにした悲しみは」は、吉田拓郎の曲だ。 おきざりにした/あの悲しみは/葬るところどこにもないさ ああ おきざりにした/あの生きざまは/夜の寝床に抱いてゆくさ 私は年代が違うこともあり、他に歌詞の出てくる、泉谷しげる「春夏秋冬」、ブランキー・ジェット・シティ「ガソリンの揺れかた」も知らないが、藤圭子の「夢は夜ひらく」は知っていた。 先月「終の棲家」に書いた広尾の東京建物のマンションの上階に、売出し中の藤圭子が住んでいて、よく前川清が緑色のスポーツカーを前の道に停めていたからだ。
長坂誠は同じアパートの、母親が失踪した少女真子と弟の面倒をみることになる。 その真子は長坂の歌った歌を、すぐに、そっくり歌うことができる。 その歌声には何とも言えない艶があって、低音域ではドスが効いている。 藤圭子にそっくり、いや、それ以上かもしれない。 長坂の父が死んだ報せが来て、真子は人はどうして死んじゃうの? 長坂は、人がもし死ななかったら、どうなる、生き続けたら、それは地獄だ、神様は終わりを与えてくれたんだ、それまで精一杯生きるしかないんだ、と。
三好達治で、私が口ずさむのは、「冬の日」―慶州佛國寺畔―だ。 ああ智慧は かかる靜かな冬の日に/それはふと思ひがけない時に來る/人影の絶えた境に/山林に/たとへばかかる精舎の庭に/前觸れもなくそれが汝の前に來て/かかる時 ささやく言葉に信をおけ/「靜かな眼 平和な心 その外に何の寶が世にあらう」
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