第30話「人まね歌麿」。 白河松平家の松平定信(井上祐貴)、かつて田沼意次が平賀源内に命じて偽造させた徳川吉宗の書状で田安家に戻れず、白河の養子となった賢丸、のところに、一橋治済から文が届く。 「ご公儀の政(まつりごと)に加わらないか」というのだった。 治済は、天明の大飢饉で白河松平家が唯一見事な差配をしたと褒め、田沼意次が印旛沼・手賀沼干拓や、蝦夷地で米が取れるなどと派手な政策ばかりやっていてよくない。 定信の生家田安家には、後継ぎがない、養母・宝蓮院が亡くなれば、取り潰しの可能性がある。 治済は、自分の子・徳川家斉が将軍になれば、必ず田安家を復活させると約束したので、定信は公儀の政に身を投じる決心をする。 一方、宝蓮院は、田安家の存続をあきらめる代わりに、白河松平家の家格を引き上げることを、大奥総取締の高岳を通じて、田沼意次に願い出て、家格は引き上げられた。 定信は、溜間詰めとなって、幕閣の中枢へと歩み出し、大奥にも足掛かりをつけることになる。
そして、若い松平定信が溜間(たまりのま)に登場し、田沼意次の提案に、ことごとく反対する。 意次は、「癇癪小僧」、溜間が「黙り詰め」でなく「がなり詰め」になったと、こぼす。 松平定信は、質素倹約を旨とし、弁当に黒胡麻むすびを持参、賛同する若い連中を集めて、「黒胡麻むすび」の会を作っている。 田沼意次は、幕府が諸国の民草から金を集め、困窮する藩に貸し付け、後に利子を付けて返すという貸金会所を提案する。 松平定信は、もちろん反対。
夏、貸金会所令が出る。 全国の町人や百姓、寺社から、家の大きさや石高に応じて金を出させ、それを大名に貸し付ける仕組みだ。 幕府は出資者に、利息をつけて金を返すと約束し、自らも利息の一部を受け取ることになっていた。 この制度は、蔦重が考えた「入銀狂歌絵本」の仕組みにヒントを得て生まれたものだった。 田沼の側近、三浦庄司(原田泰造)が、黄表紙にはまり、蔦重から「狂歌絵本」に入銀一分で自分の狂歌も載せられると、聞いたことが発端だった。
第31回「我が名は天」の予告編で、天明6年7月、大雨が降り、利根川が決壊する。 なぜか、その大雨を喜んだ一橋治済が、ずぶ濡れになって踊り狂っているのだった。
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