五街道雲助の「目黒の秋刀魚」
2025-09-08


 高座の上だけは、秋風を吹かせようというわけで。 お大名、初代は戦さをして成り上がったが、三、四代ともなると、乳母日傘でのんびりと育っている。 今日の菜は、味が落ちるな。 先日の菜は小松川にて下肥を掛けて育てたるもので、本日の菜は干鰯(ほしか)を掛けたものかと存じます。 遠慮はいらぬ、これに少々下肥を掛けて参れ。 余は、米の炊きようを覚えた。 釜に米一升を入れ、よく研いだら、水を手のくるぶしのところまで入れる。 しからば、二升炊く時は、いかがなさる。 両手を入れる。 三升では? 三升は……、足も入れる。

 鯛は、一口しか食べない。 眼肉が乙だと言い、骨湯にして飲み、猫も跨いで通るのとは、違う。 鯛を一口、召し上がって、美味である、代りを持て、と仰った。 機転を利かせて、殿、庭の築山の桜が見事で。 桜をご覧になっているうちに、鯛をくるっと引っくり返して、代りをお持ちしました。 美味である、代りを持て。 早くしないとと、慌てるが、代りなど無い。 殿様、何なら、今一度、庭の桜を見ようか。 知っていた。

 欣也、晴空万里、目黒へ野駆け(遠乗り)に行くぞ。 早く、殿の後を追え。 目黒は、山あり谷あり、野趣に富んだところ、徒歩にて二本足、馬の四本足には、とてもかなわない。 ようやく追いついて、徒歩なら殿に負けません、あの一本松まで駆け比べいたしましょう。 しかし、主人より先に出る奴があるか、と言う。 野駆けと駆け比べで、みんな腹が減った。 一本松で、弁当をこれに持て。 火急の出立で、そんな用意はない。 スカーーンと抜けた青い空、赤とんぼがツィーツィーと飛んで行く。 欣也、あのとんぼは、食せぬか。 すると、どこで焼くやら、秋刀魚を焼く匂い。 あれは何じゃ。 秋刀魚と申して、下々の食します下魚で。 いざ戦さの折もあろう、目通り許すぞ。 網も使わず、炭の中に投げ込む隠亡焼、これが一番うまい。 許せよ、何尾ある。 三尾で。 三尾、譲ってもらいたい。 これでは、村中でも釣りはありません。

 縁の欠けた皿にのせ、大根下ろし、醤油を壺に、ジューーッ! 爆裂弾である。 食しても、大事ないか。 天下の美味でございます。 その、美味いのなんのって、旬の脂の乗った秋刀魚が、焼き立てで。 美味である! 殿様、自分で、裏表を引っくり返した。 骨が残った、その方に遣わす。 お城では、何分にも、ご内聞に願います。 だが殿様は、秋刀魚が頭からはなれない。 さんま、さんま さんま苦いか塩つぱいか。 そが上に熱き涙をしたたらせて さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。 あはれ げにそは問はまほしくをかし。 佐藤春夫のようになっている。

 欣也、長やかなる、黒やかなる魚、美味であった。 ご内聞に願います。 そこへ、ご親類の大名から招待状、お好みの料理の名を、と。 余は、秋刀魚である。 ご大身が、秋刀魚? 長やかなる、黒やかなる魚である。 すぐに仕入れろ、日本橋の魚河岸で本場の房州物、樽に入った秋刀魚を取り寄せる。 脂を抜こうと蒸して、小骨は天眼鏡と毛抜きで全部抜く。 ぶつ切りにして、お椀に入れ、あんかけにして出す。 これは、秋刀魚か。 ほんのかすかに、秋刀魚の匂い。 久しいのう、そちも堅固でなにより。 不味い! いずこで、求めて参った? 日本橋の魚河岸で、本場の房州物を。 それがいかん、秋刀魚は目黒に限る。

[落語]

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