そして「円空と木喰」。 入ったとたん、岐阜・高賀神社の円空作「十一面観 音菩薩立像」のすてきな笑顔が目に飛び込んで来て、嬉しくなる。 昔から、 円空さんは好きなのだ。 右に従えているひょろりとした「善財童子立像」の、 のほほんとした顔もいい。 これらの像は、左に従える「善女龍王立像」と三 躰を合わせると、一本の丸太になる、文字通り一木彫の三尊像なのである。
円空(1632-95)は、江戸時代初期の造仏聖(ひじり)、美濃の人、中部地方 を中心に北海道から近畿にいたる各地を遍歴して、膨大な数の粗削りの木彫仏 像を刻んだ。木喰(1718-1810)は、江戸時代後期の遊行僧、甲斐の人、晩年 に日本回国と千体仏造像を発願して、各地を遍歴、日本全土に特異な木彫仏を 残した。 霊木に彫った仏という流れでは、木喰が立木に彫り込んだ愛媛・光 明寺の「子安観音菩薩坐像」が出陳されていた。
木喰の仏像も、円空仏と同じように、微笑をたたえているのが魅力である。 その多くに彫られた独特の筋を持つ丸い光背の影響もあるのか、私にはどうも 整い過ぎている感じがする。 円空仏が粗削りでいて、笑顔や表情を適確に捉 えているのにくらべると、木喰の像は装飾的、類型的に流れている。 どちら を好むかといわれれば、断然、円空仏の方が好きだ。
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